タバスコとアントニオ猪木さんには深い関係がある!?真相を解説!
タバスコを最初に日本に持ち込んだのがアントニオ猪木さんっていう噂は本当?
なぜプロレスラーのアントニオ猪木さんがタバスコと関係があるの?

「日本国内に初めてタバスコを持ち込んだのはプロレスラーのアントニオ猪木さん」こういった噂を耳にしたことはありませんか?

 

タバスコは喫茶店やイタリアンのお店などによく常備してある調味料で、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

しかし、よく考えてみると、日本食は唐辛子をあまり使用していません。それなのに、筆者が物心ついた時にはすでにタバスコは日常の調味料と化していました。

一体どういった由来で日本に広まったのでしょうか。とても不思議ですよね。この記事ではタバスコという調味料についてと、アントニオ猪木さんとタバスコの深い関係について解説します。

これを読めば、普段何気なく使っているタバスコをに何とも言えない特別感を感じられるかもしれませんよ。

タバスコとアントニオ猪木さんの深い関係

そもそもタバスコってどんな調味料?

そもそもタバスコってどんな調味料なのか知っていますか?

喫茶店やイタリアンのお店によく置いてあって、辛い物が好きな人が沢山かけているようなイメージがあるなぁ。
ピザやパスタにかけるとチーズやトマトのコクに辛味が上手く合わさってさらに食欲がわくのよね!

そんな印象が多いのではないでしょうか。タバスコの原産国はどこで、メーカー名は何で、どういう工程を経て作られているのかということは恐らくあまり知られていないと思います。

猪木さんとの関係を理解する上で、知っておく必要があるので、サッと3項目でまとめてみました!

1.原産国とメーカー

タバスコはアメリカ発祥の調味料です。アメリカのルイジアナ州エイブリー島に本社を置くマキルヘニー社にて製造されています。その歴史は古く、なんと1865年に考案されたとのことです。

 

そして今では約100ヵ国で愛用されており、1日約70万本生産されています。世界中でかかせない調味料となっていますね。

2.製造方法

タバスコの主な原料は唐辛子です。そんなこと誰でも知っていると思うかもしれません。しかし、実は唐辛子以外にも使われている原材料があることをご存じですか。タバスコの製造方法は以下のとおりです。

タバスコの製造方法

(1)丸ごとすりつぶした唐辛子を樽に詰める

(2)樽に蓋をし、その上に塩をかぶせる

(3)しばらくすると発酵した唐辛子の液体が樽の蓋の上ににじみ出て、塩が固まり樽が密閉される

(4)密閉されたまま3年間熟成する

(5)熟成後、酢を加え辛味を調整したらタバスコソースが完成

タバスコは唐辛子・塩(岩塩)・酢で作られている、ということですね。そしてさらに、タバスコは完成までに長い時間を要します。つまり、タバスコは日本でいう味噌や醤油のように発酵調味料だったのです

確かに、タバスコの味を思い出してみると辛味の中に塩味と爽やかな酸味、そして深みがありますよね。ぜひ、今後タバスコを使う時にはよく味わってみてください。

3.日本とタバスコの歴史

初めて製造されてから約150年と長い歴史を持つタバスコが、初めて日本に入ってきたのは第二次世界大戦が終わった1940年代と言われています。意外に古くから日本国内にあったのですね。

 

しかし、日本での普段の食事にタバスコが使われていたという記録はありません。あくまで現代と同じようにパスタやピザなど洋食を食べる時に風味付けとして使われていたのでしょう。

 

ただし今では、タバスコを製造しているマキルヘニー社がタバスコと和食のプロモーションを実施しているとのことです。

確かに、多くの発酵食品を扱う和食と同じく発酵食品であるタバスコは、実は相性が良いのかもしれません。今後の和食の新しいかたちに期待したいですね。

タバスコとアントニオ猪木さんの関係の真相

「日本国内に初めてタバスコを持ち込んだのはプロレスラーのアントニオ猪木さん」という噂についてですが、この噂は間違いです。

 

なぜなら、タバスコが日本国内に入ってきたのが第二次世界大戦の終わった1940年代です。しかしアントニオ猪木さんは1943年の生まれで、タバスコが初めて日本に入ってきた時代にはまだ事業を起こすどころか少年でした。

 

さらにアントニオ猪木さんは家庭の貧困を理由に、子ども時代をブラジルで過ごしています。このことから、初めてタバスコが日本国内に持ち込まれたこととアントニオ猪木さんは無関係であるとわかるのではないでしょうか。

 

ですが、タバスコとアントニオ猪木さんが無関係、という訳ではありません!

アントニオ猪木さんはタバスコを日本国内で広く定着させるのに貢献しました。彼はプロレスラーの傍ら事業家として「アントン・トレーディング」という貿易会社を経営していました。

 

そして1970年代、アントニオ猪木さんはその会社を通じてタバスコ製造会社のマキルヘニー社と販売契約を結び、タバスコを大々的に宣伝したのです。

これにより日本にもタバスコが広く普及し、お店や家庭でも使われるようになりました。

アントニオ猪木さんはなぜタバスコに目をつけた?

アントニオ猪木さんが経営していた会社は当時、日本国内で唯一タバスコの販売権を持っていました。しかし、別件で多額の借金を抱えたため販売権を手放し、結局多くの利益は得られなかったようです。

 

ただ、現在日本は激辛ブーム真っ盛りです。激辛をウリにしたインスタント食品やお菓子も多数見かけます。また、激辛料理を食べる企画があるテレビ番組も放送されていますね。

辛い料理を食べることはストレス発散の一種でもあるので、今のストレス社会にはウケるのかもしれません。

 

おそらく当時もアントニオ猪木さんは、タバスコのような辛味は日本内でも話題になると見込んだのでしょう。残念ながら販売権を手放してしまっていますが、その先見の目は確かだったかもしれません。

 

アントニオ猪木さんは、1998年のプロレス界引退の時に以下のような言葉を残しています。

 

「人は歩みを止めた時に、そして、挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わずゆけよ、行けばわかるさ。

 

この言葉からアントニオ猪木さんはさまざまなことに猛進し常に前を見ている人だとわかります。タバスコの販売権を得て日本にタバスコを広めたのもまた、このような考えがあってのことだったのでしょう。

まとめ:タバスコを日本に広めたのはアントニオ猪木さんだった!

タバスコとアントニオ猪木さんの関係性はわかりましたでしょうか。何気なくお店や家庭に置いてあるタバスコに、こんな歴史があるとは思ってみませんでしたね。

 

タバスコはアメリカのマキルヘニー社で製造されている発酵調味料です。今や世界中で使われている調味料のひとつです。

このタバスコは戦後の1940年代に日本に初めて入ってきました。その後の1970年代、アントニオ猪木さんにより国内に広く宣伝され普及しました。

 

唐辛子と和食はあまり馴染みのない関係です。しかし今、タバスコを製造するマキルヘニー社は和食とタバスコの新しいプロモーション活動を行っています

タバスコによって和食に新しい風が吹く時も、案外近いのかもしれません。

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